2016年9月25日日曜日

グランド・ジョラス北壁を目指して

 グランドジョラス北壁は僕にとって初めてのビックウォールクライミングの登攀だった。
今どきアルプス三大北壁など見向きもされないが1970年代では、まだ憧れの岩壁だ。

グランド・ジョラス北壁

 1977年23才の時、初めてのアルプスでは天候に恵まれなかった。モンブランもアイガーも悪天の中で頂きに立つ事が出来なかった。唯一登ったのは、僅か200メートルの岩壁のレム針峰だけだった。
 標高の高いアルプスでの登攀は、技術的な問題もさることながら天候に大きく左右される。もっとも実力が伴わなかったことは事実である。
 50年ぶりの悪天に襲われたこの夏のシーズン、モンブラン山郡だけで50人の死者を出し、マッターホルンでも二桁の死者だった。僕は、ほうほうのていでアルプスから逃げ出し観光旅行へと切り替えた。

 1979年7月、再び訪れたアルプスは稀に見る好天で出迎えてくれた。メンバーは前回のアルプスでも一緒だった仲井雄二君、アルプスは初めての広津三郎君、上田崇君そして私江藤文敏の4人だ。

シャモニーの某山中でのベースキャンプ。左より広津、上田、江藤、中井


北壁挑戦へ向けて現地トレーニング

 前回も登ったレム針峰で足慣らしの後、高所順応のためモンブランへ向った。そして途中、宿泊する標高4000メートルのグーテ小屋で、物の見事に高山病にやられてしまった。空気の薄さではなく、小屋の空気の悪さにやられたのである。
 グーテ小屋は小屋とはいえ小さなホテルほどあり、モンブランへ登る登山者で賑わっていた。当事は煙草も門題とされなかった時代で小屋の中は濛々としていた。空気の薄さに加えて、空気の悪さでグーテ小屋に入ってからというもの激しい頭痛に見舞われた。
 一晩中頭痛に襲われ、翌日の登頂を諦め下山した。仲井だけは元気で途中知り合ったアフガニスタン人のナザーリー・バロと一諸にモンブラン登頂をはたしてきた。

モンブラン目指して

エギュー・グーテ、グーテ小屋への登り、標高差500メートルの岩場。

グーテ小屋にて私と上田さん

未明のモンブランへ

アフガニスタン人のナザーレ・バロ



 アルプスでは好天が続いていた。僕らの目的はグランドジョラス北壁だが自信がある訳ではなかった。しかも技術的に全く問題のないモンブランでは高山病による頭痛とはいえ登頂を断念している。グランドジョラスへ向かう前にもう一本、腕試しとトレーニングを兼ねてどこか一本登っておきたかった。そこで選んだのがグレポン東壁だ。
 グランドジョラス北壁は標高差1,200メートルの6級ルート、対してグレポン東壁は標高差800メートル5級のワンランク下のルートだ。東壁は陽が良くあたるため氷は殆ど無く純粋なロッククライミングのルートで氷壁の経験の少ない僕らには向いている。

 グレポンは幾つもの岩峰を連ねたシャモニー針峰郡の中の一つで、その東壁はメールドグラス氷河に面している。

メールドグラス氷河はモンブラン山郡で一番大きな氷河だ。右側にシャモニー針峰郡、左側にはドリューやベルト針峰、そして上部から分かれたレショ氷河の奥にグランドジョラスがある。僕らの目指しているグランドジョラス北壁へのアプローチの下調べにもなる。


メール・ド・グラス氷河 右上の支流がレショ氷河 グレポン東壁下部より撮影

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