寒さでなかなか眠むれない。しかし疲れがいつのまにか寝むりに誘い込む。目が覚めるとすでに青空が広がっていた。軽い朝食を取りすぐに登攀にとりかかる。昨日張っておいたザイルを伝いながら75メートルのジェードルを登る。本来なら人口登攀の時間のかかるピッチだが今までの登攀者が打ったハーケンが残っているので利用させてもらう。
このように岩壁に残されたハーケンを残置ハーケンといい人口登攀のルートは初登攀時に比べて随分と易しくなっている。またルートの案内役にもなっていて頭上のハーケンを追っていけばルートファンディングの必要はないのだ。僕たちの実力でも登れるのは、この残置ハーケンのおかげもあり複雑な気持ちである。しかしこの後、残置ハーケンに騙されてとんでもない失敗をしでかす事になる。
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75メートルのジェードルを登る私 |
この北壁の二つ目のの難関、75メートルのジェードルは難なく登り、氷のチムニーと呼ばれる岩の割れ目の登攀にかかる。この割れ目は人の肩幅ほどで中はびっしりと氷が張り付いている。アイゼンを装着して登り始める。割れ目の途中から右のルンゼに入り上部のオーバーハングを巻くように振り子トラバースをするのだが、この5級にランクされた氷のチムニーは僕には4級以下に感じて、わざわざ『氷のチムニー』と名付けられた難所の一つとは思えなかった。上を見ると残置ハーケンがある。残置ハーケンへ向かって割れ目は伸び、見るからに難しそうだ。僕はこの箇所こそが氷のチムニーだと思い右へのトラバース地点を過ぎて残置ハーケン目指して更に直登した。
割れ目は傾斜を増し垂直のフェースに消えた。残置ハーケンにザイルを通して5級プラスはあると思われるるフェースを10メートル程登ると全く手掛かりが無くなった。右に小さなスタンスとホールドが伸びている。ここがトラバース地点かと思ったが、今度は余りに難しい。ハーケンを打ち込むリスなどない一枚岩だ。4メートルトラバースした所で見事にホールドもスタンスも無くなった。行き止まりだ、完全にルートを間違った。
見渡すと、右も左も上も下も手掛かり一つ無い絶壁だ。アイゼンの爪で1センチのスタンスに立ち、その下には500メートルの空間が広がっている。とんでもない空間にいる自分が恐しくなってくる。引き返すにも3メートルのトラバースはかなり厳しい。上りより下りほうが難しいのはトラバースも一緒だ。最後にザイルを通したハーケンから10メートル、ここで落ちたらその倍の20メートルは落下する事になる。ハーケンがその衝撃に耐えられるか。耐えたとしてもかなりの負傷を負うだろう。絶対に落ちる訳にはいかない。
アイゼンを装着したままでのクライミングダウンは不安だった。アイゼンをはずそうと片足に体重をあずけ、空いた方の足をそーと引き上げ片手をホールドからはなしてアイゼンを靴に固定しているナイロンバンドを緩める。500メートルの空間での曲芸だ。不安定な姿勢で片手だけでの作業を慎重に行う。右足のアイゼンは上手く外れた。身体を支える足を入れ替え、もう片方のアイゼンを外しにかかる。靴からアイゼンが外れたかなと思った瞬間、指先からアイゼンバンドがスルリと抜け、アイゼンがカランと岩壁を跳ねて虚空へと消えていった。
しまったと思ったが後の祭りだ。考えても始まらない、今はこの窮地を脱する事が先だ。アイゼンを外した靴底のビブラムソールが自分の足裏のように小さなスタンスを捉える。残置ハーケンまでクライミングダウンすると緊張感から解放されほっと一息付いた。後はハーケンに捨て縄をかけ支点にし、ザイルを通し釣瓶のよう滑り降りた。
下では中井とサブちゃんが『凍りのチムニー』から抜け出し振り子トラバースへと取りかかっている。よく見ると振り子トラバースのハング下には固定ザイルが残されている。中井が「こっち、こっち!」と呼ぶ。あの固定ザイルに気がつかなかったとは、なんていう間抜けなんだ。頭上の残置ハーケンに騙されて随分と時間をロスしてしまった。そしてアイゼンを片方。ウォーカーバットレスは基本的に岩のルートだ。上部に『三角の氷壁』があるが傾斜は緩い。上田さんにトップで行ってもらえば片足でも何とかなるだろう。気を取り直して中井達の後を追う。
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氷のチムニーを登るサブちゃん |
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氷のチムニーを登るサブちゃん |
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上田さん |
中井達とトップを入れ替わりしながら登っていると、後ろから外人の二人組が登って来た。僕らに追いつくと片手をひょいっと上げた、その手には僕の落としたアイゼンが握られていた。
彼らが『75メートルのジェードル』を登っていると突然リュックサックの上にドサッとアイゼンが落ちてきた。しかも小さな雨蓋の上に引っ掛かって止まったというのだ。100メートルの上空から落ちてきたアイゼンを彼のリュックサックが見事にキャッチした訳だ。彼はビックリしたが、状況を察して親切にも届けてくれたのだ。彼らに何度も礼を言った。しかしこんな奇跡みたいな事も起こるんだなと感心したものである。
スピードの速い彼らに先を譲って登攀を開始をした。北壁の500メートルを残した所で夕暮れを迎えた。広くはないが4人が腰をおろせるテラスで二日目の夜を迎える。今日は僕のルートファンティングのミスで予定の高度をかせげなかった。今夜のビバーグ地点のすぐ上に最大の難関ともいえる灰色のツルムと呼ばれる200メートルのスラブが立ちはだかっている。本来ならこの灰色のツルムを超えた所まで登っていたかったのだが。
標高が高くなった分だけ寒さがこたえる。しかし寒いと言うことは天気が良いという事だ。岩に張り付いた氷をピッケルで削りメタ(固形燃料)で沸かして紅茶を入れる。バケットとサラミソーセージ、チーズ、レモンの夕食を取り、残り少なくなった煙草をくわえた。
三十年ほども後になって、僕の最も尊敬するアルピニスト、ワルティナ・ボナティの登攀記『わが山々へ』を読み返していて、なんとボナティも同じ所でルートを間違っていた事を知った。ボナティの弁によれば、氷のチムニーから更にツルツルのスラブを登りオーバーハングした一枚岩で身動きが取れなくなったというのだ。
僕は高校生の時に何度もこの登攀記を読んでいたのだが、その7年後にグランド・ジョラスへ臨んだ時にはすっかり忘れていたのだ。技術的な事や、ルートに直接関わる記事ばかり読んで偉大な先人の文章は頭から離れていたという事だ。
しかし尊敬するボナティと同じ所でルートを間違ったなんて、なんだか嬉しくなった。もしかしたら、あの残置ハーケンはボナティが打ち込んだ物かもしれない、などと思うと楽しくなってくる。
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氷をかじって咽の渇きを潤すサブちゃん |